純文学は面白い。と個人的には思っているものの、あまり賛同してくれる人がいなくてかなしい。実際、純文学は売れていない、らしい。
よく、純文学と大衆文学の違いで、テーマ性の有無なんていう話が出てくるけど、正直そういった偉そうなことを言うから純文学からどんどん人が離れて行っているような気がする。
実際、純文学と言えば眼鏡をかけた文学青年やら性格の暗い人がしかめっ面で読んでいるイメージがあるのではないか。
個人的には、純文学で一番大事なのは主題と表現の面白さだと思っている。
これを主題にしちゃう? とか、こんな表現しちゃう? みたいなことを突っ込みながら読むと純文学も面白い。
ただ、その辺はあらすじを読んでもわからないので、本屋で手に取ってあらすじを読んだところでなんか起伏がなさそうとか、地味そうみたいな印象をもたれてしまうことが多い気がする。(だから、売れない)
要は優先順位付けの問題であって、ストーリーを追及したのが大衆文学で、表現を追求したのが純文学というだけなのだと思う。
だから、いろいろと読んでみれば、純文学にもずっしりと胃の底にくるものもあれば、下らなくて笑ってしまうようなものもあるということに気づくはずだ。
前置きが長くなってしまったが、本記事では、そんな下らなくて笑ってしまうようなおすすめの純文学作品をいくつかピックアップすることで純文学のイメージ向上に貢献したいと思う。比較的最近の作家を選んだので、新作が出たりしたらそれも買ってみてください。
面白い現代純文学15選
木下古栗「金を払うから素手で殴らせてくれないか」
最近、個人的に大ハマりしている作家。いつか芥川賞を取ると信じてやまない。
一言で言うと意味の分からない小説ばかり書いている。ストーリーの意味が全く分からないのに、設定や一つ一つの描写がいちいち笑える。
ひとまずどれだけストーリーのパースが狂ってるかを理解してもらうために、本書収録3作の内容を紹介していこう。
◆IT業界 心の闇
雑誌とかでよく見るOLの座談会みたいな文章(これ自体もあるあるで面白い)が延々と続くと思いきや、突然次の文章が始まる。
信じられないかもしれぬが、私はOLである。今ではすっかり浮き世の荒波に揉まれ(勿論、その間には幾人もの殿方に乳房を揉まれもしたのだが……)、身も心も擦れて逞しくなってしまったが、かつては極度の人見知りで、初対面でしかも相手が異性ともなれば伏し目がちに途切れ途切れの言葉を発するしかできぬような、まさに純粋無垢な生粋の生娘であった。それが今や、まさに恥知らずの淫売としか形容できぬような性生活の放蕩と退廃を極める身となり、改めて年月を経た自身の淫乱な変わり様に驚くとともに、新たなるチャレンジに突入する頃合いがやって来たのではないかと感ずるに至った。すなわち、そろそろ将来を連れ添う伴侶を捕らえて腰を落ち着けるべき時期ではなかろうかと。
そんな主人公は上司の不倫相手の身代わりとなり、上司の奥様に謝罪しにいくことを上司に頼まれる。この時の上司の発言も笑える。
「断ったらクビだからな」「そんな」「俺はまともな人間じゃないんだ。全能感を失うと何をしでかすか分からないぞ」
そうして奥様のもとに謝罪に行った主人公は、上司に張り手をしたり、死んでしまった犬を話題に出す(嘘)ことで奥様の歓心を買おうとしたりと、まぁいろいろあって、最後は実は主人公が女装していたことが奥様にばれる。そのあとはなぜか主人公の同僚が参加した合コンパーティーの話が延々続くというストーリーである。
僕も何を言っているかわからないが、本当にそうなのかは実際に読んで確かめてほしい。IT業界の闇は深い。
◆Tシャツ
日本人の妻が死んで以来、十数年ぶりに妻の両親に会いに日本にやってきた外国人ハワード。以下はハワードが空港に降り立った際の描写。
しかしふざけて走り回る少年がよそ見をしてぶつかり、持っていたジュースをハワードにかけてしまう。「ごめんなさい!」駆け寄って謝罪する母親。彫りの深い険しい顔つきのガイジンに面食らう。「ア、アイムソーリー」「ダイジョーブです、元気なお子さんですね」流暢な日本語で急に笑って許したハワードは近くのお土産屋に入り、真剣な表情で物色する。「これにしよう」Tシャツを買ってその場で着替える。胸のプリント。「DO NOT WEAR YOUR PAJAMAS」
このように物語の筋に全く関係ないTシャツのプリントもきちんと描写するのが木下古栗の魅力と言えるだろう。
さて、そんなハワードは義両親の家の周りをうろついているときに近所に住んでいる長岡夫人に声をかけられる。長岡夫人はサーフショップ兼古着屋を経営している清水一家にハワードを紹介する。
そして、そこから清水家とハワードの交流が始まるのだが、いろいろあって最後はハワードは国に帰り、清水家の奥さんであるまち子さんはこうなる。
この怒涛の描写はもはやロックである。
◆金を払うから素手で殴らせてくれないか。
表題作。ある晴れた行楽日和の職場における以下の描写からストーリーは始まる。
振り返ると米原が立っている。「おい、鈴木、米原正和を捜しに行くぞ」とその米原正和が言った。「あの野郎、どうもまた失踪したらしい。しかも今度は進行中の案件をほったらかして」「えっそうなんですか」
もちろん、米原正和を捜しに行くぞといった当の本人が捜索対象の米原正和である。同姓同名とかではない。
その後はひたすら米原を捜しに町中を歩き回るのだが、どうも当の米原は自分が捜索されているという認識があるらしく、自分の行きたい寿司屋やスーパー銭湯をはしごしながら巧妙に仕事をさぼるという話である。
最後は米原が見つかって(最初からいるのだが……)終わりかと思いきやアサッテの方向に着地する。結論だけ言うと米原は死ぬ。
以上、各作品について説明してみたが、正直自分でも本当に何を言っているかわからない。木下古栗が書く小説のあらすじを説明するのは本当に難しい。基本的にあらすじはない、と言っていいだろう。奇抜な設定やどこか狂った登場人物が次々と登場してはいつの間にやら場面転換し、最後には予想もしなかった結末に読者を置いてけぼりにしていく。上で紹介したように、文章はひたすら緻密と言ってよく、ストーリーに関係ない内容をなぜか念入りに描写してくる。もはや言葉の暴力である。
疲れた時ややさぐれた時に服用すると全てがどうでもよくなる。他の作品についてもおいおい紹介していきたい。
さて、木下古栗の紹介でだいぶエネルギーを使ってしまったので後は駆け足で紹介していこう。
姫野カオルコ「受難」
姫野カオルコは5回の直木賞ノミネートを経て、ついに2014年に「昭和の犬」で直木賞を受賞した女性作家である。「ツ、イ、ラ、ク」や「リアル・シンデレラ」も有名。
今回紹介するのは、最初の直木賞候補作である「受難」。映画化もされたので知っている人も多いかもしれない。
直木賞候補作だが、僕はこれは純文学だと思っている。この本は僕を純文学読みに導いた作品のうちの一つなので思い入れが深い。
ストーリーは、修道院で育った汚れなき乙女フランチェス子の”アソコ”に喋る人面瘡ができるという下ネタ感満載のお話である。主人公のことをひたすら「ダメ女」と口汚く罵る人面瘡を、主人公は「古賀さん」と呼んで共同生活をする。そんな二人(?)の交流を描く。
古賀さんの主人公に対するダメ出しと、それに対する主人公の諦観と愛情が混ざった対応が面白く、最後は心が暖まるいい終わり方となっている。
前田司郎「恋愛の解体と北区の滅亡」
表題作と、「ウンコに代わる次世代排泄物ファナモ」の2作を収録。
表題作は、宇宙人が北区で地球人に殺害され、報復攻撃の危険が迫っている日に、SMクラブに行こうとする男の話。
明日死ぬかもしれないのに、冒頭はコンビニの列に割り込みしてきたヤンキーへの怒りの描写からはじまり、その後もひたすらしょうもない独り言描写が続く。
全編を通してゆるーい空気が流れていて良い。特に宇宙人が初めて地球にやって来た日の描写が好きだ。宇宙人が「誰から行くよ?」みたいな会話をしたり、とか、200人ぐらいが降りてくるので結構待たないといけない、とか。
アイドルもうんこするし、宇宙人もへまするのだということを再認識させてくれる。
同時収録「ウンコに代わる次世代排泄物ファナモ」は、
ウンコをファナモに代えて以来、タクヤはますますオシャレになった。
というまさかの書き出しから始まる短編である。近年まれにみる傑作だと個人的には思っている。
あらすじであるが、ウンコをファナモという次世代排泄物に代える前のタクヤといういけすかない男が、主人公とのデート中にウンコを漏らす話である。
タクヤはウンコを我慢しながらもクールな感じを装い続けるのであるが、ついに我慢できなくなってしまう。そのときの描写が圧巻。そのときだけ羊飼いや戦士や占い師がでてくる。
津村記久子「カソウスキの行方」
2009年に「ポトスライムの舟」で芥川賞を受賞する前の作品。
やりきれない日々に嫌気がさしたOL(28歳、独身、彼氏なし)が、退屈しのぎに人のよさそうな同僚を好きになったと仮定して生活してみる話。つまり、『仮想好き』。
その辺の恋愛小説よりもキュンキュンする。夜寝る前などは好きな人のことを考えなければ、みたいな感じで、変にまじめに「好き」を実践しようとするOLに萌える。
長嶋有「エロマンガ島の三人」
「猛スピードで母は」で2002年芥川賞を受賞した作家。全体的に淡々とした文章を書く人で、お気に入りの作家のひとり。
本作は 「エロマンガ島にいって、エロマンガを読む」というゲーム雑誌の企画でエロマンガ島まで二泊三日で旅行する男3人の話。タイトルの出落ち感がすごいが、意外に心温まる名作である。エロマンガ島に行きたくなる。
円城塔「Self-Reference Engine」
2012年、「道化師の蝶」で芥川賞を受賞。本作はデビュー作である。
円城塔はSFと純文学を融合させたような小説を書く人で、内容は基本的に難解、読んでてよく分からなくなるところが特徴である。意味が分からな過ぎて笑える。
ストーリーを説明するのは難しいので、背表紙のあらすじをそのまま転載することにしよう。
彼女のこめかみには弾丸が埋まっていて、我が家に伝わる箱は、どこかの方向に毎年一度だけ倒される。
老教授の最終講義は鯰文書の謎を解き明かし、床下からは大量のフロイトが出現する。
そして小さく白い可憐な靴下は異形の巨大石像へと挑みかかり、僕らは反乱を起こした時間のなか、あてのない冒険へと歩みを進める――
軽々とジャンルを越境し続ける著者による驚異のデビュー作、2篇の増補を加えて待望の文庫化!
メタフィクションとか高位存在とか理系的なギャグとか宇宙とか意識とか、そういう単語にぴくっと来る人は読んだらいいと思う。
例えばこれにはてぶしたひととか。
又吉 直樹「火花」
一世を風靡した又吉氏の小説。
売れない芸人の主人公と、同じく売れない先輩芸人との交流を描く。一部では批判の向きもあるものの、個人的には主人公の先輩芸人のぶっ飛んだ行動が笑えて面白かった。文章も丁寧な描写で読みやすい。
芸人の芸に対する執念と情熱を感じさせ、自分も明日から頑張ろうと思わせてくれる。まずは豊胸手術を受けよう。
本谷有希子「異類婚姻譚」
2016年芥川賞受賞作。
ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた
から始まる、妻と旦那の日々の生活を描く。旦那のダメ夫っぷりに笑う。
夫のダメ夫っぷりを最初は違和感なく許してしまっていた妻が、違和感を感じ始めたところから話は始まるのだが、最後はえっ??というところに話が着地する。
結論だけ言うと、夫は綺麗なお花になります。僕もお花になりたい。
田中慎弥「図書準備室」
引きこもりが祖父の三回忌で伯母に「そろそろ働いたら?」と聞かれ、それに対してなぜ自分が30歳になっても働けずにいるのかを滔々と説明する話。
自分も同じようなことを聞かれたら参考にしようと思っている。
一番の笑いポイントは、最後、主人公の説明が終わったころには主人公の話を小さい甥っ子姪っ子しか聞いていないところ。
小山田浩子「工場」
2014年、「穴」で芥川賞を受賞した小山田浩子のデビュー作。個人的には「穴」よりもこっちの方が面白かった。
町にある大きな”工場”で働き始めたものの、意味のない仕事(シュレッダー、よくわからない文章の校正、苔の研究)をさせられる3人の話。
普段イメージする工場というよりは、なんというかカフカ的な感じの工場で、読んでてもあまり現実感がない。描写から察するになんだかそれ自体が街であり、生命体であるような印象を受ける。
読んでるとだんだん不安になってくるような小説である。ただ、それを乗り越えるとなんだかそこにおかしみを覚えてきて一気読みしてしまう。作中に出てくる小学生が書いた工場生き物図鑑の内容が好き。面白いが読むと働きたくなくなるので注意。
川上未映子「乳と卵」
2008年、芥川賞受賞作。
デビュー作「わたくし率イン歯?または世界」と迷ったがこっちにした。(わたくし率~の主人公の妄想も面白かった)こっちの方が、(芥川賞にあわせてきたともいわれるが、)文体もだいぶ落ち着いており、スムーズに読める。
本作は豊胸手術を受けるために東京にやってきた母と、その娘の話。
口を利かず、筆談でしか会話できなかった親子が、最後は卵を投げ合うまで仲良くなる姿に思わず笑みがこぼれる。
諏訪哲史「アサッテの人」
2007年芥川賞受賞作品。
予定調和を忌み嫌い”アサッテ”を生きようとする叔父が失踪前に残した草稿をもとに、叔父の生き様を再構築しようとする「私」の小説。
叔父の草稿を整理しなおして小説を書こうという小説であり、小説構造自体が複雑な階層をなしている。メタフィクションとか小説内小説とかそういうキーワードが好きな人は気に入ると思う。
世の通念から身をかわそうと叔父はよく意味の分からない発言をする。そんな夫の奇行を妻は整理して分析しているのだが、そのまじめな筆致と叔父の奇行のギャップに笑える。
例えば、叔父はよく「ポンパ!」と叫ぶのだが、これに対する分析はこうだ。
「発音及び使用例」
①ひとつ目の《ポンパ》はさほど問題ない。そのままストレートに発音するだけだ。(中略)この間など、夫がひとりで本を読んでいて、それがどんな記述だったのかは分からないが、さかんに手をたたき喝采しながら、
「ハッハッハッハ、あーあ、それはおまえポンパだろう、いやもう完全にポンパだ、いくらポンパってったってそりゃポンパすぎる、ハッハッ」
と笑い出し……
終わりなき日常を生きる我々にとって、叔父の人生に対するこのスタンスは大きなヒントになるのかもしれない。
舞城王太郎「煙か土か食い物」
芥川賞を何度も逃している舞城さんのデビュー作。
今でも健在のスピード感はこの時から前面に出ている。ミステリ+純文学+ライトノベルみたいな感じ。
ストーリーは、敏腕外科医の主人公が、ある日母親が連続主婦殴打生き埋め事件に巻き込まれたという連絡を受け帰国し、その事件の謎を解明していくというもの。
トリック解明のスピード感が早すぎて全く付いていけないのだが、慣れてくるとスピードにだんだん病みつきになってきて、笑えてくる。
吉田修一「最後の息子」
2002年、「パークライフ」で芥川賞を受賞した吉田修一のデビュー作。
オカマの閻魔ちゃんと同棲する「僕」の話。閻魔ちゃんと僕の会話や日々の同棲生活のもろもろが可笑しい。閻魔ちゃんがかわいくて、その道に足を踏み込んでしまいそうになる。長嶋有と同様の淡々とした文体・表現が特徴で、読んでいると穏やかな気持ちになれる名作。
同時収録の「破片」は破片を集める弟の話で、読み終わったときにどこか寂しく不思議な気持ちになる。「Water」は水泳部で県大会を目指す高校生たちのお話で、極上の青春小説。どちらもおすすめ。
阿部和重「アメリカの夜」
2005年、「グランド・フィナーレ」で芥川賞を受賞した阿部和重のデビュー作。
デビュー作だけあって、なかなか尖っており面白い。ブルース・リーを敬愛し、特別な存在でありたいと願う芸術家志望のフリーターの話なのだけど、同一人物である語り手と主人公が、互いに自己言及しながらストーリーが進んでいく。
自意識の膨張に苦しんだ青春時代を過ごした人が読むと、自虐的な笑いがこみ上げてくる。そうです、わたしのことです。
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以上、お気に入りのおすすめ純文学をいくつかまとめてみた。こう見ると、青春をこじらせた系が個人的に好きなのかもしれない。かなしいですね。
おすすめがあればコメントで教えていただけるとうれしいです!
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